太平洋戦争と私
- sumioyamashita2847
- 2023年8月15日
- 読了時間: 2分
今日2023年8月15日は78回目の終戦記念日です。
町民センターで行われた開成町戦没者遺族会主催の「平和のつどい」に参加してきました。

プログラムのメインは3つの朗読劇です。 最初は「異人館はショコラ色」(著者 橋本 哲)でした。
私の住む足柄上郡開成町のお隣、南足柄市内山の敵国人収容施設の話しです。
二つ目は「シディングハム・デュアの抑留日記」でした。 シディングハム・デュアさんのご子息 出羽 仁さんが2021年の暮れに出版された「英国人青年の抑留日記~戦時下日本の敵国人抑留所~」をベースとしたものでした。https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784846021238
シディングハムさんは、日本で生まれ育っているが英国籍だったため、1941年12月8日(真珠湾攻撃の日)「敵国人」として特高警察に拘束されたそうです。
実は元々予定していなかった平和のつどいですが、昨日急遽決めました。
議会事務局に用があり役場庁舎に行ったときに、1Fロビーで戦争関連の展示があり、「敵国人収容施設一覧」の中に「天草郡久玉村」の表記を見つけたからです。

天草郡久玉村は現天草市久玉町で、私の故郷です。
そこに収容所があったことは全く知りませんでした。
父は市井の民話・郷土史研究家で「黒潮の道の猿田彦と巨石信仰」という論文で猿田彦大神フォーラムの助成研究公募の一席をとったこともありました。同時に父の父、私の祖父がラーゲリに収容されていたことなどもあり、戦時中のこともよく語っていました。
ですので、知っていれば当然話したと思うのですが、そんな父からも久玉の収容施設に関して聴いた記憶はありません。
映画「ラーゲリより愛をこめて」に描かれていたようなことが、外国人に対して行われていたのか?
名古屋の入管のウィシュマさんのこともあり、果たして戦争の狂気の中の日本人がどうであったかに関心があったからです。
私は1964年の8月生まれ、当然戦争は知りません。
しかし、親の世代が実際に戦争を体験しており、戦争体験をした人から戦争の話を聞いてき多世代です。
今後、私たち戦争を知らない世代が、さらに下の世代に戦争の悲惨さを伝えていかねばなりません。
私の中にある太平洋戦争との繋がり、その欠片でも大事にしていかないといけないと思っています。
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