詩のタイトルは「もうやめてください」でした
- sumioyamashita2847
- 2024年3月8日
- 読了時間: 2分
先月後半から、母の体調が思わしくなく、MRSAも保菌しているのに抗生物質を口に入れても嚥下しない、ということで入院しました。
点滴で抗生物質を入れるためです。
今日主治医から電話があり、ほぼ眠っている状態で、点滴だけでは体調の改善は見込めないので、経管栄養にするかどうか訊かれました。
断りました。
それまでの状態から経管栄養にしたところで、そうポジティブな状態にはならないと思います。そんな高齢者に無駄に医療費かけなくても結構ですと。(これまでさんざん「寝たきり老人がいるのは日本だけ、その無駄に掛ける医療費を奨学金の返済に回せ」と主張してきているので、自分の親の時はやらないと決めていたこともあります。)
Dr.『そうするとあまり長くないかもしれませんが、もしもの時は心臓マッサージや人工呼吸器は・・・』
はいそれも結構です。母は自分の父の時も人工呼吸器を断ったことを知っているので、本人もそれを望むはずですと答えました。
実際母が自分の父親の延命措置を断った時のことを、父が詩に書いていました。
タイトルは「もうやめてください」だったはずです。
※ 詩作を趣味にして、「燎原」という同人誌に投稿し、結構な数の本を出版しました。
数年前に南足柄市在住の日本ペンクラブ会員 村山精二さんにお会いしましたが、村山
さんはご自身のHPで何度か父の詩を取り上げてくださっていました。
母は寺の娘で、人の死に際や送る方の人たちをたくさん見てきているし、供養をすることが身についているので、死生観として達観したものがあったのかもしれません。
私もその経緯を知っているし、唯物論的唯心論とでもいうような、生きている間は体が大事だけど、その体を意のままに操れない状態になった時に、尊重されるべきはなにか、生命活動としての終わりが来たら、それはそのまま受け入れて、供養という行為をすることで感謝を忘れなければいいと思っています。
ある意味、私が、母の命のリミットを切ったことにはなるのですが、それをするのも子の務めです。
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